母親の家出に最初だけ連れていってもらえた話 (2021年12月)
忘れていたがあれは暮れの、おそらく大晦日だった。
母親が私と妹を連れて家出したときのことだ。私は2日めくらいに家に帰るよう言われ、妹はそのあとも連れていってもらえたから、たぶん私は小学生で、妹は幼稚園。ということは母親は30代だったと思われる。
電車に乗ったあと、タクシーに乗り、車の中で母親が泣いていたら、運転手が、つらいことがあったんでしょうが辛抱することです、みたいなことを言っていた。
大久保の旅館に泊まって次の日くらいに、ということはおそらく元日、何か食べたあと、私は帰るよう言われ家に帰った。
そのあとしばらく自宅ではなく祖父母の家にいた。母親がどこに行ったか何度も何度も何度も何度も聞かれたが、母親に言うなと言われていたからわからないと答えた。
何日後か覚えていないが、母親は戻ってくるか連れ帰られるかした。どこかで怖い目に遭ったと大人たちが話していた。
私が母親の行先の手がかりになることを喋らなかったのは、母親が本当に家を出たいのだろうと思ったからだが、戻ってきたということはそうではなかったのかもしれないと思った。
今思うと、もしかしたら小学生の娘が約束を守って何も喋らないとは、母親は思わなかったかもしれない。探しにいってほしいとほかの大人たちに訴えないとは。
私は約束は守る。少なくとも、約束を破るときは自分が約束を破ると意識している。そうではないという人がいるかもしれないが、その場合は忘れたと思われ申し訳ない。
母親は家出先で私たちを連れて人に会った。その人は私の知っている人だった。そのことを話せば母親はすぐに見つかったと思われる。
しかし私は話すなと言われたことをそのまま受け取って、母親の心情を察することをしなかった。あるいは情に従ったような子どもらしい行動をしなかった。
大人の心情を察しろというのは子どもにはむずかしい。
母親はよく「お父さんそっくり!」と叫んで私を叩いた。今思うとたとえば上記のような振舞いは、母親の気持ちを慮ってないから多分父親に似ていたんだろう。それだから母親は私を嫌っていたんだと思う。
母親は父親を叩けないから私を叩いたんだろうし、父親のことが思い通りにならないから私を暴力で従わせようとした。今考えれば擁護する余地はない。
2021/12/31
〈解説〉断片的な記憶