短い夢 & コロナと推しについて (2022年2月)
窓の外から子どもたちの遊ぶ声が聞こえていた。バイクのエンジンをかける音が何度かしたと思ったら目が覚めた。バイクの音はしなくなったからそれは夢だった。しかし目覚めても子どもの遊ぶ声は聞こえていた。
覚める前の一瞬、窓の外で子どものころの私が、夕陽色の草地に揺れるエノコログサをみていた。
子どものころに戻りたいと思ったことはいちどもないが、夢の中では懐かしくて泣きそうだった。
夢の中にしか存在しない郷愁。夢の中にしか存在しない断崖。大人になっても結構な年齢になってもおそらくまだ、何らかの感情が意識されないまま抑圧されている。
私は性格テストをすれば温厚とかバランスが取れているとか出るが、そんな筈ないのはよく知っている。そういう外面を長年纏いすぎて、実際はどうだったか最早よくわからない。
ここまで2022/2/17記
と、夢の話を書いてどうでもいい内容だなと思って投稿してなかった。
それとは関係のない話で、推しのソロ活動のサポートをしていたギタリストのこと。その人のことはあまりよく知らないが、数年前に推しのソロライブで4、5回くらい見た。そのギタリストのツイッターも一時別垢でフォローしていたけど、五輪で無批判にテンション上げてるのを見てイラッとしてフォローを外したのが昨夏。
昨秋、そのギタリストは病気(コロナではない)で亡くなっていた。推しのツイートを今日見て知った。
爆音を座って静かに聴きたいわけではないから、推しのライブにコロナで行かなくなって、推しのツイートも最近あまり見てなくて気づかなかった。
コロナで推しと疎遠になる感じ。
「推し」は基本的に一方通行の関係だから、こちらから関わりに行かなければあっさり無関係になる。交流のある同担がいれば違うかもしれないがもういなくなってしまった。
一連のそんな感じの儚さや人の心の移ろいを歌った推しの音楽が私は好きだったのだけれども。それは決して過去形の話ではないのだけれども。
ここまで2022/2/20記