大人の笑顔は好きではない (2021年12月)

大人の笑顔は、必ずしもおかしかったり楽しいわけではないことが多い。そういう笑いが私は好きではない。

多くの人は単に他人に好印象を与えるためになんとなく笑っている。それは好きではないけどそこまで気にならない。というか、好きではないと言いながら私自身もそういうものを用いて世渡りをしてきました。

笑いごとではない状況での笑いはイラッとするが、わりとよく目にする。この雑記帳ブログなどでいくつか紹介したので、下に時系列に並べてみた。

(1)妻のオーバードーズで救急車を呼ばずに済まそうとした挙句、子どもが呼んだ救急隊員に愛想笑いしながら何度も謝ったときの私の父親。(記事リンク)

(2)タバコをやめるよう言われて、私が言及した祖父のがんによる死を嘲笑したときの当時付き合っていた人。(記事リンク)

(3)事故死した夫の葬儀で、旧知の一部参列者に満面の笑顔を振りまいていたときの政治家。(記事リンク)

(4)平和の森公園の工事をニコニコ笑いながら住民らに説明したときの中野区担当者。(記事リンク)

日本人が身内の死を笑顔で話すのを、ラフカディオ・ハーンは19世紀終わりごろ、奇妙な習慣として紹介した。(注1)

動物学者のデズモンド・モリスは、微笑について「初めは、これは恐怖の単純なサインであった」「恐怖心を抱いているということは攻撃的でないことを意味し、攻撃的でないことは親しみを抱いているということを意味している」と指摘している。(注2)

緊張した状況で笑う人は、冗談ごとではない場面でへらへらしているようにしか見えないが、おそらく本人も緊張していると思われる。

おかしくもないときの笑顔は、子どもがしたら痛々しくて見てられない。

子どもが楽しくて笑っているのは好きだ。

ねこはくすぐっても笑わない。

2021/12/12記

〈解説〉感想的ななにか

1) ラフカディオ・ハーン『日本の面影』角川文庫, 1989年.

2) デズモンド・モリス『マンウォッチング(下)』小学館ライブラリー, 1991年.

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