父親が救急車を呼びたがらなかった話 (2021年12月)
母親は私が物心ついてからずっと「子どもがいるから離婚できない」と言い続けて、離婚しないのを子どものせいにしていた。しかし、ふと見るとそんなに遅くもない時間から父親のふとんに潜り込んでたりもしたので、私はその発言は信用できないと思った。
私と妹が小学生のころ、母親は不眠のため処方された睡眠導入剤を飲みすぎて、呼びかけても反応しなかったことがあった。
私と妹が救急車を呼ぼうというのを、父親は制止して、近くの病院に次々と電話をかけはじめた。夜だったからどこも開いているわけがない。合間に家の中をのしのしのしのし歩き回って、母親の様子をみて、時間を稼いでいるうち自然に目をさましたりしてないことを確認して、また電話をかけ続けた。
私と妹は業を煮やして救急車を呼んだ。
到着した救急隊員に、私たちが状況を説明しているあいだ、父親は少し離れたところから愛想笑いを浮かべながら「夜分遅くすみません」と何度もぺこぺこ謝った。
家の外に停めた救急車に母親が運び込まれたあと、妹が乗り込んだ。救急隊員が救急車の上から父親に「ご主人は……?」と、同乗しないのか尋ねた。怪訝そうな表情が忘れられない。
記憶はこの救急隊員の言葉のあとで途切れている。
小学生の妹には入院の手続きなどができないと思う。母親が病院に運ばれたあとどうしたのだろうか。おそらく父親が自分の車で病院に行って手続きをし、妹を連れて帰ったのではないかと推測される。
それとも、今思うとこちらの方がありそうな気がするのだが、私は父親が救急車に同乗しなかったと思っているのがもしかしたら間違いで、父親は促されて、いくらなんでも結局同乗したのかもしれない。
母親は病院で胃洗浄ののち翌朝退院した。
2021/12/11記
〈解説〉断片的な記憶