上司の葬儀の話 (2021年11月)

むかし働いていた会社の上司が交通事故で死んだことがあった。都内の教会で葬儀があり、私も職場の他の人たちと一緒に道案内や受付を手伝った。

上司の妻は代議士で、参列者が順番に悔やみを言うのに対し笑顔で挨拶を返していた。政治家は大変だね。

彼女は旧知らしい人に満面の笑みで「また遊びにきてくださいね」とか挨拶したあと、次に私が悔やみを言うと、笑うか笑わないか決められないこわばった表情のまま、(この人は会ったことがあるだろうか) (知人だとしたら自分にとってどんな利害関係の人だろうか) というふうに、素早く視線をあちこち動かし値踏みする様子が印象的だった。

相手が誰であってもよくないか? 誰だろうと来てくれたんだから「ご愁傷様」「ありがとう」で十分だろうに。だいいち葬式で遺族が愛想を振りまく必要があるか?

手伝いに駆り出された職場の人間は会場に入れず、仏教式と違って焼香もないので、カトリックの葬儀のミサがどんな感じかは残念なことに全く見ることができなかった。

ミサのあいだ怪しかった天気は出棺のとき土砂降りになった。参列者は教会の建物から前庭に出て、豪雨のなか傘をさし結構長い時間出棺を待った。

参列者たちは前庭で教会堂の入口を見ながら立っていた。私たちは受付のテントの中で同じように立っていた。手伝いの人間だけテントで雨に濡れずにすむという、なかなか酷い状況だった。

カトリック信者の同僚がひとり、ミサに参列したいからと道案内などの手伝いをしなかった。いつの間にか参列者の群れから離れて受付のテントに入り、手伝いの私たちに混じって雨宿りしていた。

彼はそのあと不祥事で会社を辞めたのだが、この葬儀の話とは関係ない。

葬儀では上司の中学生くらいの子どもたちが父親との思い出をディスクに収めたものが配布された。中身を私は1度も見なかったから、CDだったかDVDだったか不明だ。

2021/11/27記

【PR】